昭和の沿革史
昭和22年 | 4月 | 初代校長 佐藤 毅助氏就任 PTA会長 佐藤 省三会長 生徒数 576名 新制度により円田村立円田中学校 として開校発足 開校式・入学式挙行 (円田小学校高等科及び 円田村高等公民学校の教室を使用) |
昭和22年 | 5月 | 女生徒にDDT散布 |
昭和22年 | 7月 | 全校遠足(青根方面), 2・3年生に欠席,中途退学生徒が目立つ |
昭和23年 | 3月 | 第1回父母教師会総会 (1年生は義務制、2・3年生は任意) 第1回卒業式・円田村高等公民学校最終卒業式 |
昭和23年 | 4月 | 生徒数 573名 同窓会設立総会 |
昭和23年 | 5月 | 新憲法発布記念弁論大会 |
昭和23年 | 10月 | 小・中連合運動会 |
昭和23年 | 11月 | 3年修学旅行(松島・仙台方面) |
昭和23年 | 12月 | 新築中学校校舎に移転(現在地) |
昭和24年 | 4月 | 第2代校長 阿部 正勝氏就任 生徒数 666名 |
昭和24年 | 5月 | 川小石山に学校林植林 |
昭和24年 | 9月 | 校舎第二期工事落成(134坪), 3年生まで義務制となる |
昭和24年 | 11月 | 3年生修学旅行(仙台・山形・福島方面) |
昭和25年 | 3月 | 講堂落成式 |
昭和25年 | 4月 | 生徒数 675名 |
昭和25年 | 9月 | 3年生修学旅行 (東京・江ノ島・鎌倉方面,3泊4日) |
昭和25年 | 11月 | 午前父母教師会総会・午後学芸会実施 |
昭和26年 | 4月 | 生徒数 688名 |
昭和26年 | 10月 | 仙南地区音楽コンクール第1位、県大会に出場 村内一周学級対抗駅伝競走大会 |
昭和27年 | 3月 | 校歌発表会ならびに学芸会 (校歌は佐藤忠治郎氏の篤志による) |
昭和27年 | 4月 | 生徒数 694名 川小石山に全校植林作業 |
昭和27年 | 5月 | 巣箱コンクール入賞(450個) |
昭和27年 | 11月 | 全校寄生虫駆除(サントニン) |
昭和28年 | 3月 | 第3期校舎建築完成(75坪) |
昭和28年 | 4月 | 生徒数 675名 学校植林作業 |
昭和28年 | 11月 | 第4回宮城県学校植林コンクール第2位入賞 屋内体操場落成(185坪・工費648万円) |
昭和29年 | 3月 | 川小石山植林(5町歩) |
昭和29年 | 4月 | 生徒数 672名 姥畑山植林 文部省指定 「産業教育(農村における食生活の改善)」 指定校 |
昭和29年 | 11月 | 第5回宮城県学校植林コンクール第2位入賞 水道敷設 |
昭和30年 | 1月 | 特別教室増築(旧講堂跡) |
昭和30年 | 4月 | 生徒数 673名 円田村・宮村が合併し蔵王町となる 蔵王町立円田中学校と改称 川小石山植林(11町7反) |
昭和30年 | 10月 | 第6回全国学校植林コンクール中学校の部第1位 農林省で表彰式 (文部大臣賞・農林大臣賞緑化委員会・ 読売新聞賞受賞 |
昭和30年 | 11月 | 宮城県学校植林コンクール第1位, 仙台ブラザー軒で表彰式 |
昭和31年 | 4月 | 生徒数 685名 昭和28年に植林した曲竹薬師堂地内学校林, 山火事のため8反中3反5畝焼失 |
昭和31年 | 10月 | 文部省指定「産業教育」公開研究会 ピアノ購入(PTA寄付36万円,町費10万円) 全国学校植林コンクール優秀校受賞 |
昭和31年 | 11月 | 宮城県学校植林コンクール最優秀校受賞 |
昭和32年 | 3月 | 校庭拡張,登校坂工事完了 |
昭和32年 | 4月 | 生徒数 577名 曲竹地区より宮中学校に入学する 生徒10数名となる |
昭和32年 | 5月 | 佐藤甲二蔵王町長の寄贈により校門前に 車回しを作る |
昭和33年 | 4月 | 生徒数 577名 |
昭和33年 | 10月 | 牛乳給食開始 |
昭和33年 | 11月 | 県中学校駅伝競走大会優勝 (県庁浜田折返し,大会新記録2時間22分9秒) |
昭和34年 | 4月 | 生徒数 527名 |
昭和34年 | 8月 | 町営水道敷設 (従来は2ヶ所の井戸からポンプで 水を汲み上げていた) |
昭和34年 | 9月 | 円田中学校体育後援会結成(会長 佐藤勇男氏) |
昭和34年 | 11月 | 県中学校駅伝競走大会優勝(2年連続) |
昭和35年 | 4月 | 生徒数 556名 |
昭和35年 | 6月 | 農繁休業5日間 |
昭和35年 | 8月 | 1年生蔵王登山(賽の河原より歩く) |
昭和36年 | 3月 | 卒業生144名 うち,高校進学者47名,東京方面就職者30名 (集団就職臨時列車で白石駅より出発) |
昭和36年 | 4月 | 第3代校長 玉手 達士氏就任 PTA会長 佐藤 勇男会長 生徒数 674名 2階建て6教室落成(516万円) |
昭和36年 | 7月 | 学校林下刈り作業 (1年生:姥畑山 2・3年生:川小石山) |
昭和37年 | 3月 | 学校林日本一の記念碑建立 (題字 阿部正勝前校長) |
昭和37年 | 3月 | 校門建立 (佐藤PTA会長他, 町有志の寄付11万円, 大鷹沢石) |
昭和37年 | 4月 | 生徒数 744名 |
昭和38年 | 4月 | 生徒数 721名 |
昭和38年 | 10月 | 中学校駅伝競走大会第3位 (35年より中止されていたが 本年度より再開) |
昭和38年 | 11月 | 文化祭開催 |
昭和39年 | 1月 | 水道の水源を塩沢の佐藤康蔵氏より 譲渡される |
昭和39年 | 3月 | 卒業生247名中,東京方面集団就職者140名 |
昭和39年 | 4月 | 第4代校長見津 豊氏就任 PTA会長 伊藤 貞治会長 生徒数 684名 産業教育研究指定校 「機械学習の実践的研究及び理論を生かした 被服製作の指導法」 |
昭和39年 | 9月 | 東京オリンピック聖火リレー伴走 (生徒20名,宮小前から児捨川橋) |
昭和39年 | 10月 | 県中学校駅伝競走大会第4位(南郷会場) |
昭和40年 | 4月 | PTA会長 小島 孝一会長 生徒数 684名 県指定「進路指導(特別活動)」2年間 |
昭和40年 | 7月 | 簡易プール落成(ビニール),第2グランド(98万円) |
昭和40年 | 10月 | 県中学校駅伝競走大会第6位(南郷会場) 元村長 村上勇吉氏(98歳)より図書費として 50万円寄贈される |
昭和40年 | 12月 | 産業教育研究指定校公開研究会 |
昭和41年 | 4月 | 生徒数 580名 |
昭和41年 | 10月 | 県中学校駅伝競走大会第4位(南郷会場) 県指定「進路指導(特別活動)」公開研究会 (約300名参加) |
昭和42年 | 4月 | 生徒数 567名 |
昭和42年 | 6月 | 第1回対村田第一中学校定期親善試合 (会場:村田第一中・全校生徒移動) |
昭和42年 | 11月 | 「進路指導」の研究により学研賞受賞 |
昭和43年 | 1月 | ブラスバンド結成披露(楽器購入費43万円) |
昭和43年 | 4月 | 生徒数 539名 |
昭和43年 | 12月 | 就職自営者激励会 (永野小学校会場、本校生徒80余名参加) |
昭和44年 | 4月 | PTA会長 会田 信雄会長 生徒数 535名 |
昭和44年 | 9月 | 大運動会にブラスバンド初出演 |
昭和44年 | 10月 | 県中学校駅伝競走大会第11位 |
昭和45年 | 4月 | 第5代校長広岡 二郎氏就任 生徒数 493名 |
昭和45年 | 7月 | 簡易プールビニール張替え工事(30万円) |
昭和46年 | 1月 | 机・椅子スチールパイプ製にすべて入れ替え(493組) |
昭和46年 | 4月 | 生徒数 445名 |
昭和46年 | 7月 | JRC加盟 |
昭和46年 | 10月 | 県中学校駅伝競走大会第3位(若柳会場) |
昭和47年 | 4月 | 第6代校長玉手 憲二氏就任 PTA会長 高沢 良弘会長 生徒数 435名 |
昭和47年 | 10月 | 第1回円中祭開催 |
昭和47年 | 11月 | 全教室に石油ストーブ入る |
昭和48年 | 4月 | PTA会長 吉田 太一会長 生徒数 413名 |
昭和48年 | 5月 | 体育館床板全面張替え(工事費200万円) |
昭和48年 | 10月 | プール落成(1500万円) |
昭和49年 | 4月 | 生徒数 411名 |
昭和49年 | 7月 | 宮城県中学校野球大会第3位 |
昭和49年 | 9月 | 第二校庭整備 |
昭和49年 | 11月 | 第3回円中祭 |
昭和50年 | 3月 | 2年生修学旅行(東京・鎌倉方面) |
昭和50年 | 4月 | 生徒数 390名 |
昭和50年 | 8月 | 第1回町内小・中学校水泳大会(本校プール) |
昭和50年 | 12月 | 校舎改築促進協議会発足 (教育環境整備懇談会が移行) |
昭和51年 | 4月 | PTA会長 近江 巌会長 生徒数 359名 |
昭和51年 | 9月 | NHK合唱コンクール参加 |
昭和51年 | 10月 | 第4回円中祭 |
昭和52年 | 4月 | 生徒数 356名 |
昭和52年 | 11月 | 校内球技大会・校内合唱コンクール 校内新聞コンクール開催(以降,毎年開催) |
昭和53年 | 4月 | 第7代校長斎 純氏就任 PTA会長 鹿島 茂会長 生徒数 311名 |
昭和53年 | 5月 | 校舎建築協議会と改称,活動盛んになる 円田中学校学校林管理委員会設立 (委員長 佐藤勇男氏) |
昭和53年 | 11月 | 第5回円中祭 |
昭和54年 | 3月 | 学校林より円田中備品費として 4000万円を町へ寄付 |
昭和54年 | 4月 | 生徒数 286名 |
昭和54年 | 7月 | 新校舎落成 (総事業費43,400万円、 建築面積延べ3380㎡) |
昭和54年 | 9月 | NHK合唱コンクール優良校に入賞 |
昭和54年 | 10月 | 新校舎落成式・祝賀体育祭 県中学校駅伝競走大会第4位(南郷会場) |
昭和55年 | 4月 | 第8代校長小室 裕氏就任 PTA会長 村上 賛会長 生徒数 256名 県指定校「学習指導」(2年間) |
昭和55年 | 5月 | 旧校舎跡地整備 |
昭和55年 | 6月 | 文化財サークル開講 (ふるさと教育の一環として,4年間) |
昭和55年 | 10月 | 県中学校駅伝競走大会第8位(亘理会場) 第10回文化祭 |
昭和56年 | 4月 | PTA会長 村上 太一会長 生徒数 274名 |
昭和56年 | 6月 | 体育館建築協議会発足(会長 佐藤勇男氏) |
昭和56年 | 9月 | NHK合唱コンクール奨励賞 |
昭和56年 | 10月 | 県指定公開研究会 「学習効果を高める指導法の試み (教育機器の活用を通して)」 |
昭和56年 | 11月 | 校花「サクラ」,校木「クロマツ」を制定 |
昭和57年 | 1月 | 校庭拡張のため畑地買収(4,974㎡) |
昭和57年 | 4月 | 第9代校長小山 哲郎氏就任 PTA会長 会田好昭会長 生徒数 261名 |
昭和57年 | 9月 | NHK合唱コンクール優良校 |
昭和57年 | 10月 | 県技術家庭研究大会会場校 第1回町内小中学校陸上競技大会会場校 県中学校駅伝競走大会第11位(河北会場) 第8回円中祭 |
昭和58年 | 3月 | 体育館落成(1,148㎡,総工費17,500万円) |
昭和58年 | 4月 | 生徒数 255名 |
昭和58年 | 5月 | 歴代PTA会長写真及び円田中学校の変遷掲額 |
昭和58年 | 9月 | NHK合唱コンクール優良校 |
昭和58年 | 10月 | 第9回円中祭「チャレンジ」 |
昭和59年 | 2月 | 第8回仙南地区バレーボール大会女子優勝 校庭整地 (暗渠,側溝,東側土留,工費2,000万円) |
昭和59年 | 4月 | 生徒数 234名 |
昭和59年 | 6月 |
白刈地区中総体で5種目優勝 |
昭和59年 | 9月 | NHK合唱コンクール優良校(3年連続) 円中祭「FOREVER」 |
昭和59年 | 11月 | 仙南中学校新人野球大会優勝 |
昭和60年 | 3月 | 校庭整備第二期工事 (バックネット・テニスコート3面・倉庫・屋外トイレ・ 東側フェンス新設・校舎前植込整備) |
昭和60年 | 4月 | 第10代校長渡辺 登氏就任 PTA会長 佐藤 親市会長 生徒数 250名 生徒指導推進モデル地域指定(県,2年間) |
昭和60年 | 6月 | 白刈地区中総体で3種目優勝 (バレー女子,卓球女子,ソフト) |
昭和60年 | 9月 | NHK合唱コンクール優良校 |
昭和60年 | 11月 | 南 節子(国立音楽大学助教授)ピアノリサイタル開催 |
昭和61年 | 4月 | 生徒数 257名 |
昭和61年 | 8月 | 第7回少年の主張仙南大会会場校 |
昭和61年 | 9月 | NHK合唱コンクール奨励賞 |
昭和62年 | 1月 | 生徒指導推進モデル地区として成果発表 (県研修センター) |
昭和62年 | 4月 | 第11代校長小島 亮治氏就任 PTA会長 樋口 俊治会長 生徒数 264名 |
昭和62年 | 6月 | 校庭南東隅に井戸(直径2m,深さ5m)を掘る |
昭和62年 | 12月 | 異常乾燥のため校庭の粉塵甚だし 散水車製作 自転車通学者ヘルメット着用 |
昭和63年 | 4月 | 生徒数 269名 |
昭和63年 | 7月 | 2年生蔵王登山実施 |
昭和63年 | 8月 | NHK合唱コンクール参加 |
昭和63年 | 10月 | 円中祭 |